油煙斎貞柳蹟(ゆえんさいていりゆうがあと) 南御堂前雛屋町西南の角の家なり。
この人ここに居し菓子を製して業とし、鯛屋出城椽と号す。
玉雲斎信海(しんかい)が門に入りて、若年より狂歌を詠んで世に鳴る。
ある時、南都松井和泉といへる油煙所の大形の墨を大内に上りし由を聞きて、
   月ならで雲の上まですみのぼるこれはいかなるゆえんなるらん   貞 柳
このざれ歌雲ゐに聞こえければ、ゆえん斎と号を腸ふとぞ
   七十にあまりて後の油煙斎弥陀の浄土をすみどころとて        同
あるとしのあした
   百人一首にどうありとても元日のあかつきばかりよきものはなし    同
はにふの小屋に紙帳をつりけるを見て
   夕立の雨のふる夜もふらぬ夜もかみなりさわや紙帳佗しき       同
鳳潭和尚に由緒ありければ松尾華厳寺に一よ泊りて
   月はみついもは楊枝にさすがまたゆぴをまよひと捨てられもせず    同
八幡滝本坊より賜りし牛房のひげをとりてにるとて
   初春は目出たき本のごぼうさまおひげのちりなとりもこそすれ     同
辞世
   百ゐても同じ浮性に同じ花月はまん丸雪は白妙             同
享保十九年甲寅八月十五日没(年八十一)。



鯛屋饅頭(たいやまんじゅう)店跡  大阪市中央区南久宝寺町4
父の永田山城掾は禁裏誤用菓子司を努め、天皇の宸筆の看板を頂いて店先に掛け、大名行列も鯛屋の前を通るときは槍を倒し、下乗したほどという。
享保9年(1724)近隣からの出火で焼失した。
永田貞柳(ながたていりゅう・1654〜1734) 永田清兵衛は代々鯛屋と称する大坂の菓子商。狂歌師
親友の奈良古梅園の主人松井氏の依頼で、古梅園の墨を霊元法皇に献上する際に付けた狂歌が褒められ、法皇に油煙斉の号を賜った。




鯛屋貞柳墓所  光伝寺 大阪市天王寺区下寺町1-3 

右より丸石を重ねた墓
狂歌碑 百居ても同じうきよにおなじ我 月は真丸雪は白妙 天保4年(1833)百回忌追福供養  桃季園栗間戸 建
狂歌碑 すみ昇る月はまん丸二百年 昔ながらにあふくけふかな 昭和8年(1933)10月 二百回忌追福供養 鯛屋8代永田竹三郎 建



 
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