薬師堂(やくしどう)北谷町にあり。薬師の石像にして、長二八五寸ばかり。
その外大坂市中所々にあり。 束ねてここに記す。
亀山町の薬師仏は安阿弥の作。
出世薬師は行基の作にして、初めは天満にあり。今堀江新地に安置す。
また立売堀帯屋町にあり。この薬師仏は恵心の作。
また四軒町にあり。これも同作にて長八寸ばかり。
また堂島永来町の薬師仏は弘法の作にて、長一尺三寸。 ここに愛染明王を安ず。同作。また観世音を安す。春日の作なり。
また常安町の薬師も同作にて、不動尊は覚?(かくばん)上人の彫刻とかや。
また小右御門町の薬師は長九寸にして、慈覚大師の作なり。
また日向町の薬師は金像にして、長四寸、往昔泉州小木(をきの)庄内影山長者が守本尊なり。初め農人町に安置して、側に清水あり。ゆゑに清水薬師と呼ぶ。
また安治川南側にあり。この薬師仏は慈覚(じかく)大師の作にして、立像一尺五寸ばかり。脇士の十二神将は古代の作と見えたり。









堂島薬師堂(どうじまやくしどう) 大阪市北区堂島1-6
西暦593年、推古朝のころの史料に「東は玉造に四天王寺をつくり、西の方洲に御堂を建立」の記録があるという。 また、延宝3年(1675)に書かれた古文書「芦分船」にも「聖徳太子が四天王寺創建時に、建築用材の運搬船が暴風雨で難破、洲の中に流れつき、お堂を建てた」との記述があり、これが薬師堂の起源と言われている。
海上を航行する船から、このお堂がよく見えたところから薬師堂のある島が「堂島」の地名になったとも言われている。
お堂内には、薬師如来像、地蔵菩薩像、弘法大師像など仏像4体と、ねはん図など軸2本がおまつりしてある。薬師如来像は室町時代の作と鑑定されているが、その由来は定かではない。 また、弘法大師像は薬師如来像よりも歴史が古いと伝えられており、明治26年(1893)からの大阪大師詣りの行事では薬師堂を第一番の霊場として、1日数十万人の参詣者で賑わうほどであった。
堂島薬師堂は堂島の世相、経済と連動しながら栄華盛衰を繰り返し、現在は、月2回の法要と、節分の日に、厄払いと鬼追い行事を行なっている。          平成11年3月
HOME > 巻之四 大坂
inserted by FC2 system