楼屋敷(やぐらやしき) 高麗橋西爪にあり。また堺筋平野町にもあり。大坂市中の奇物なり。
高麗橋筋一町目より西に呉服賈ふ市店多し。


また同三町目に虎屋伊織とて名物の饅頭を沽る。終日買ふ人絶えずして世に名高し。



明治3年(1870)に大阪初の鉄橋として架け替えられた。
西詰に櫓屋敷がまだ残っていた。


高麗橋(こうらいばし) 大阪市中央区
東横堀川は大坂城築城のとき外堀として改修されたといわれる。高麗橋はそのころにかけられたらしく、現在大阪城天守閣に保存されている慶長9年(1604)の銘のある鉄製擬宝珠はこの橋のものと伝えられている。
江戸時代の高麗橋は幕府管理の12公儀橋の中でも格式高く、西詰に幕府の御触書を掲示する制札場があったほか、諸方への距離をはかる起点にもなっていた。
明治3年(1870)9月大坂最初の鉄橋にかけかえられ、さらに昭和4年(1929)6月に現在の鉄筋コンクリートアーチ橋にかわった。
欄干の擬宝珠や西詰にあった櫓屋敷を模した柱は昔の面影をしのぶよすがとなっている。
   昭和51年春  大阪市


櫓屋敷を模した柱が印象的です。


里程元標跡(りていげんぴょうあと) 大阪市中央区高麗橋東詰
明治時代に、高麗橋東詰に里程元標がおかれ、西日本主要道路の距離計算はここを起点として行われた。
    昭和43年3月 大阪市建立


鶴屋八幡 大阪市中央区今橋4-4-9
幕末、虎屋は九代目に跡継ぎがなく、暖簾を下ろす。
それを惜しんだ人たちが、虎屋に奉公していた今中伊八に和菓子屋を開かせ、後援者の八幡屋辰邨の屋号を頂く。
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