有楽斎三井(うらくさいみつのゐ)花の井・菊の井・梅の井の名泉みな九昌院のほとりにあり。
かつて織田有楽好みて掘らしめたりといふ。







織田有楽斎の旧邸(おだゆうらくさいのきゅうてい) 大阪市北区天満1
織田信長の実弟、織田長益(おだながます)は利休に茶を学び、利休十哲の1人にも数えられる茶人で、天正18年(1590)に秀吉の御伽衆として摂津国嶋下郡味舌(現摂津市)2000石を領し、剃髪して有楽斎と称した。
有楽斎邸には有楽斎三井といわれる「花の井」「菊の井」「梅の井」の名水があり、徳川家康はこの茶席に出掛けるのを好んだという。
そうしたことから、松平忠明はこの旧地に東照宮を建て、京の妙心寺派建仁寺の塔頭九昌院の僧三江を招いて別頭に任じ、九昌院建国寺とも号した。
「築山ありて林泉の風景美観なり、観音堂、薬師堂あり、社頭に能舞台、境内に桜多く花の頃は美艶勝景なり」と『国花集』にある。
大塩の乱で消失す。



HOME > 巻之四 大坂
inserted by FC2 system