津村御堂(つむらみどう) 御堂筋本町の北にあり。表御堂また北御堂ともいふ。京都西本願寺抱所なり。津村は円(つぶら)の訛なるべし
本尊阿弥陀仏(安阿弥作、長三尺五寸。両脇檀に開山親鸞聖人影・前住上人影・聖撼太子、七高僧・九字十字名号を安ず) 二尊堂(御堂の南にあり。開山聖人・蓮如上人の二影を安ず、共に蓮如上人の・筆なり)対面所(御堂の北にあり。荘厳美にして大いに広し。御門主下向の時は門徒ここにおいて御盃斎非時(ぎょはいときひじ)に列す。これを御相伴といふ。また朝鮮人来朝の堕この所を借りて止宿す)輪転蔵(二尊
堂の東にあ。一切経を蔵む)鐘堂(輪蔵の東にあり。)鼓楼(巽の方築地の上にあり)茶所(本堂の前にあり。詣人ここに憩ふ)  本願寺第八代蓮如上人、明応四年石山本願寺を建立Lたまひ、化益したまふゆゑ、大坂市中および北摂津の村里の門徒多く尊信す。これによって、第十二代准如(じゆんよ)上人この御堂を再興したまふ。初めは境内狭少なれば、元禄年中裏町渡辺筋六十間、安土町四十間を買ひ取って境内とす。また享保九年三月大坂大火に難焼す。その後、南の方本町条の人家を転じて寺内とし、今のごとく御堂の荘厳地境に勝れ美麗なり。画は多く法橋狩野永雪とぞ聞こえし。常に参詣の老若間断なし。毎年七月十七日より十九日まで、京師本山より灯籠を移して御堂において門徒に見せしむ。これ恒例なり。築地の内の巡りには講中の詰所建ちならぴ、築地の外には近年作り松を多く植ゑて、景勝として市中第一の仏閣なり。
   西風に何ぞ自力の扇つれ                   天満宗因


北御堂(きたみどう) 大阪市中央区本町4-1-3
本願寺津村別院 浄土真宗本願寺派 石山本願寺が無くなった後、大坂の門徒が天満に近い「桜の岸」に坊舎を建立。 慶長2年(1597)、津村郷と呼ばれた現在地に移り、北御堂と称した。


山門

蓮如像親鸞像


本堂 本尊:阿弥陀如来
昭和20年(1945)3月の空襲で焼失し、昭和39年(1964)に再建。
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