天満宮(てんまんぐう) 天満にあり。初めは当所北の方明星池のほとりにありて、旧地を露秋里といふ
祭神大自在天神(社説に云符、昔は天満山とて広き叢林あり。天暦の頃その林に霊光ありて諸人これを奇異とす。すなはち里人に神託ありて、難波の梅を慕ひてここに影向すと告げあれば、これを奏して菅神を祭る。天満の市中繁花となれば、産土神として寛文年中今の地にうつしける)
大阪天満宮(おおさかてんまんぐう) 大阪市北区天神橋2-1-8
延喜元年(901)2月、太宰権帥に左遷された菅原道真公は筑紫太宰府への途次、この地に大将軍社を拝し海路にて御出立になり、太宰府に在ること2年有余、延喜3年(903)2月25日59歳の生涯をとじました。その50年後の天暦7年(953)、大将軍の森に村上天皇の勅願により創建された。
大門
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矢大神(やだいしん |
左大神(さだいしん) |
十二支方位盤 酉は鳳凰になっています。
狛犬 大正13年10月 修覆
天満市場 天満市場寄贈の青銅狛犬が戦時中に供出され、後に高麗橋にある店の店頭に飾られた白大理石の阿形が寄贈された。
拝殿 天保8年(1837)の大塩の乱で焼失し、弘化2年(1845)に再建された。
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登龍門 金燈籠 唐門の両側にある。
戦前の金属供出で台座のみとなっていたが、
菅公1100年大祭記念として平成14年1月再建。 |
登龍門(唐門) 幣殿の東西にある。
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本殿 祭神:贈太政大臣正一位菅原道真
蛭子門(えびすもん) 大門の西側。
左手に戎社が祀られていたことから戎門と呼ばれてきた。 その後、戎社は境内西北に移された。
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老松社紅梅殿 祭神;御愛樹之霊 |
白太夫社 祭神:渡會春彦 菅公の側近 |
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老松神社 祭神:住吉大神・神宮皇后
古く神功皇后九州筑紫より帰航の折、
巨松に風波の難を避け樹下に社を建
てたのが始まりという。 のち貞観2年
(860)白砂青松の智(旧老松町3)を
卜し老松神社を建立す。
平成2年6月吉日大阪天満宮に遷座。 |
神武天皇聖跡難波之碕顕彰碑
昭和15年11月 紀元2600年奉祝會
御事蹟 難波之碕は日本書紀に據れば
神武天皇御東征の際到り給ひたる所なり。
その砌奔潮甚だ急なりし為浪速の國の名を
得後難波となれり。
昭和15年秋 大阪府 |
蛭児遷殿 祭神:蛭児大神 常は本殿相殿に奉斎されている。
大将軍社 祭神:八衢比古神(やちまたひこ)・八衢比売神(やちまたひめ) ・意冨加牟豆美神(おほかむづみ)・久奈斗神(くなど)
当宮地主神として孝徳天皇の御代難波長柄豊碕宮の四方に鎮守神として奉祀せらる。 現地名南森町は大将軍の森と称せられた。
神明社 祭神:天照皇大神・豊受皇大神
十二社 祭神:吉備聖霊・早良親王・藤夫人・伊豫親王・火雷神・火産霊神・
埴山此売神・天吉葛神・川菜神・藤原廣嗣霊・橘逸勢霊・丈太夫霊
御輿庫 鳳輦庫(ほうれん)・玉御輿庫(たまみこし)
妻社 祭神:大己貴大神 神馬
浪華古図によれば渡辺橋北詰に鎮座ありしを当宮にてはこの社の廃れしを再興せんと昭和22年9月社殿を造営し鎮斎す。
八坂社 祭神:素盞御命 もと北区天神西町にあった。
白米社 祭神:稲荷大神
創祀伝来等は不詳なれども文政7年刊神佛霊験記図会に記され往時より民庶の尊崇厚かりき。
稲荷奥宮 祭神:稲荷大神
昭和63年師走25日、伏見稲荷大社より神璽奉斎。白米稲荷社の奥宮と称し奉る。
亀吉・鶴姫大明神社 白米社の背後に鎮座。
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霊符社(れいふしゃ) 鳥居 大正13年3月吉日 |
本殿 祭神:天御中主神(あめのみなかぬし) |
御祭神の天御中主神は天地の初め高天原に成りませる天地創造の神である。
節分当日に願主の延命長寿の鎮魂祈祷を奉仕する。 |
松尾社 祭神:大山咋神(おおやまくいのかみ)
八幡社 祭神:応神天皇(おうじんてんのう)
吉備社 祭神:吉備真備公(きびのまきびこう)
霊亀2年(716)に遣唐留学生として唐から刺繍裁縫の業を持ち帰ったといわれ、2月8日針供養が執行される。
鷽献灯 明治40年1月建立。鷽(うそ)は天神様の愛鳥で、「鷽鳥御守」が1月24・25日の梅花祭に授与される。
住吉社 祭神:底筒之男命(そこつつのお)・中筒之男命(なかつつのお)・上筒之男命(うわつつのお)
車宿(くるまやど) 牛車あるいは人力車を止めておくところ。
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天神の水「五智の井」 |
黒土祠 御井神。 |
浪速4ヵ所の名井の1つ。摂陽奇観に「天神の水天満の名井にして諸方賞翫す。
酒に和して美味なり」と記されている。
徳川期に大阪城代が江戸へ赴く時は途中の飲料水として携帯し、明治帝が造幣局に行幸の際は天満の水を奉し上げている。
近年まで有名な天満酒が醸造されて、この附近に酒蔵が点在していた。
北鳥居 昭和6年5月吉日