砂場しづみや  
砂場の蕎麦店浪花の珍 蠣殻檐を葺いて不易の春 石臼多く回る頭上の力 来賓腹を脹らすこと数千人  籬島


砂場(すなば) 新町西口南の町の地名なり。ここに蕎麪を商ふ家あり。難波の名物とて遠近ここに来集する事日々数百に及べり。
重檐に蠣蛻を茸きて火災を除く用とす。南の方を和泉屋といふて初めは和泉国熊取郷御門村の産、その類族かの地にありとなも。中氏といふ。すべて屋号といふはむかしは戸主の二字なり。今略して屋の字を須ゆ。和州法隆寺の鐘の銘に戸主の字見えたり。 またこの家の先主に風騒あり。
     菊佳節。唐に蘇鉄あれば  九重のけふも我が家の蘇鉄かな          中舎仙
   坐の語到りて佳なり。不死一身体のごとし。ここに庭中に霜の翁と見ゆるしら菊有り。甲斐国鶴郡の水を飲めば人寿鶴の如し。
  砂場の蕎麦を喰ふ人、寿命右に同じ。   半時庵淡々







新町南公園(しんまちみなみこうえん) 大阪市西区新町2


ここに砂場ありき
本邦麺類店発祥の地
大阪築城史蹟・新町砂場
天正11年(1583)9月、豊太閤秀吉公大阪築城を開始、浪速の町に数多、膨大を極めし資材蓄積場設けらる。ここ新町には砂の類置かれ通称を「砂場」と呼びて、人夫、工事関係者日夜雲集す。人集まる所食を要す。早くも翌天正12年、古文書「二千年袖鑒」に、麺類店「いずみや・津の国屋」など開業とある。即ちこの地、大阪築城史跡にして、また、本邦麺類店発祥の地なり。   坂田孝造  識
昭和60年(1985)3月11日
大阪のそば店誕生400年を祝う会・建立
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