大江坂鳧鐘(おほえざかつりがね) 上町釣鐘町釣鐘屋敷にあり。傍に看街楼(ことみやぐら)ありて、役丁更々勤めて昼夜非常を看る。
鐘銘に日く、
是歳甲戊之秋
源左大臣、鈞命して、当地市鄽(してん)の永代の歛租を覗かる。これ天下寛祐にして裕かなる基なり。人皆野に忭(てをう)ち、も、喜悦の眉を展ぶ。ゆゑに衆評に依り、鳧氏をして新たに鴻鐘を鋳せしむ。曙雲東嶺に横はる。朝にこれを撞きて、皇帝の万歳を祝延す。皎月西山に懸る。夕にこれを撃ちて、賢君の千期を祈誓す。古にまた慶余有れば、金石に勒し、彝鼎に銘し、而して歓び太道を為す。蓋しそれ貴と無く、賤と無く、鐘声を聴く者は睡魔を降して、群疑を被るものなり。
金を鎔かし、玉を錬り 創建を費さずして 華鯨形をなす 晨昏これに報ゆ 将軍大樹は 楓、枝を鳴らさず
国家父母より 万民慈を蒙むる 仁者勇有り 大明にして私無し 清平なる世界 永く丹墀を護る
一百八声 響は天神に通ず 地祇劫石 消日供する有り 音尽くる時無し
寛永十一、月闕き閹茂に逢ふ、季秋吉日
治工 藤原家次
願主町中一組衆等
野釈竜巌叟書
この種は、寛永十一年九月初めて鋳て、大坂三郷町中より掲る所なり。銘文は、谷町筋寺町西側、禅宗大仙寺竜巌和尚、洪鐘開元供養は、一心寺の住職天誉和尚なり。この鐘銘の大意は、寛永十一年中戌閏七月東関より御上洛の時、御土産として大坂町中の地子御赦免あらせらる。三郷の町中、永世不朽の御仁政を有難存じ、高麗橋の櫓屋敷にて一統に御礼を申し上げ奉り、御厚恩の為に、町中よりこの鐘を鋳てここに釣り置き、二六時中この鐘の音を聞きて、不易の御仁恵を忘却致さざる為といふ意なり。
釣鐘屋敷跡(つりがねやしきあと) 大阪市中央区釣鐘町2-2-11
寛永11年(1634)市内の地子銀を永代免除された大阪の人々は、ここに鐘楼(明治3年撤去)を建てて時刻を報じ、永くその恩恵を記念した。 |
大坂町中時報鐘(おおさかまちじゅうじほうしょう・大阪府指定有形文化財)
この鐘は、金位11年(1634)、徳川3代将軍家光公が大坂下向の折、大坂三郷の地子銀を永代免除し、これに感謝した町人が記念に鋳造したものである。
以来、明治3年(1870)、大阪鎮台の号砲にとってかわるまで、釣鐘屋敷と呼び親しまれたこの地で時報鐘として時を告げてきた。その後、府立博物館に移され、大正15年(1926)11月、大阪府庁舎の新築とともにその屋上に保存されてきた。
今、由緒ある金が多くの人々の御尽力により、ゆかりの地釣鐘町に里帰りすることとなった。 大阪町人の心意気とたくましい前身の息吹を現代に伝え、再び大阪の繁栄と文化振興のシンボルとしてよみがえったのである。
大地にしっかりと根をおろした新しい鐘楼から響きわたる鐘の音とともに、希望に満ちた確かなる大阪の未来が切り開かれんことを願う。
昭和60年6月 大阪府知事 岸 昌 大阪府教育委員会委員長 若槻哲雄 |