上難波仁徳天皇宮(かみなんばにんとくてんのうのみや) 上難波町にあり。
社説に云ふ。世人博労稲荷と称ずるは訛りなり。鳥居の額。仁徳天皇宮。 祭神鷦鷯(しようりよう)聖帝(拝殿の額、摂津総社難波皇太神宮と書す。杜記に日く、肇は反正天皇元年冬十月勅によって大江阪平野郷に鎮座あり。後世天正年中、金城御造建の時、神領地によつてこの上難波に移す。
むかし旧杜の時、後三条院の帝位吉行辛に当社へ詣したまふ。その時は延久五年二月なり。また将軍頼朝卿および足利将軍家杜参ありて神領寄附したまふ。これを上難波・下難波といふなり)  
勲一等若宮(本社の左にあり。菟道稚郎子(うしのわかいらつこの)命を鎮め祭る) 博労神祠(本社の右にあり。稲荷神を祭る)天照大神宮(博労祠に隣る)末社(武内祠・猿田彦祠、その外二所)神楽殿・神輿舎・神馬舎・絵馬殿(ともに社頭にあり)薬師堂(薬師・観音を安置す)  
当社の例祭は六月二十一日、橘通二丁目下宮御旅所へ神輿を渡す。祭礼厳重にして、楽倫祭勤ありて、道路音楽あり。この辺市中および新町傾城廓(けいせいかく)等本居にして賑しき御祓なり。また秋祭は九月二十一日にて神馬の渡りあり。そもそも、この社頭は大坂南中の繁花の地なれば常に詣人多く、芝居・観物・軍書読・小賈の市店連りで喧し。すべて辺鄙の人も大坂一覧の時はまづここに詣するなるべし。




難波神社(なんばじんじゃ)  大阪市中央区博労町4-1-3
反正天皇が松原市に柴籬宮(しばがき)を開き、父帝の仁徳天皇を祭神として創建。天慶6年(943)朱雀天皇の命で大江の坂平野(天王寺区上本町)に遷る。
豊臣秀吉が大阪城築城の後、慶長2年(1597)現在地に遷座。


拝殿 
もと上難波神社、仁徳天皇社と称していたが、 明治8年(1875)難波神社に改められた。
昭和20年(1945)空襲で全焼し,昭和49年7月(1974)再建される。


本殿  祭神:仁徳天皇(にんとく) 素盞嗚尊(すさのおお)


西鳥居


北鳥居  四方にある鳥居の内、本殿裏の北側のみが閉じられている。





博労稲荷神社


十四柱相殿神社  祭神:水波熊女大神・春日四柱大神・猿田彦大神・迦具土大神、豊受姫大神・
               天照皇大神・応神天応、豊臣秀吉公・菅原道真公・楠正成公・徳川家康公。
明治21年(1888)鉾蔭(ほこかげ)神社、安邦(やすくに)神社の祭神を6社へ合祀し、改称す。


金刀比羅神社(ことひらじんじゃ) 
もとは堀江のお旅所の東南隅にお祭りしていた。
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