難波津(なにはづ) 大坂の舊號(きうがう)なるべし。郷名多し。順の「和名抄」に見えたり。
谷町の以東を東生郡、以西を西成郡といふ。一説に東横堀を郡界といふは謬なり。北の方を天満といひ、北野・曾禰崎・堂島・中之島の名あり。中央を船場といひ、南を島の内、東を玉造・上町・高津、西は土佐堀・江戸堀・京町・海都濠(かいふぼり)・新靱(しぬつぼ)・阿波座・鰹座・薩摩堀・立売堀・新町・砂場・長堀・北堀江・南堀江或は雑魚場・江子島(えのこしま)・寺島・安治川・木津川等の入船の区別あり。
橋数町名記するに際限なし。「大坂町鑑」に見えたればこゝに略す。
 万葉  難披津にみふねおろすゑ八十楫(やそか)抜き今はこぎぬといもにつげこそ   大伴家持
 後撰  難波津をけふこそみつの浦ごとに是や此世をうみ渡るかな              業平朝臣
 拾遺  なにはづは暗めにのみぞ船はつく朝(あした)のかせのさだめなければ      祐躬
 千載  霜がれの難波の蘆のほのぼのと明くる湊に鵆(ちどり)啼くなリ           賀茂成保
 新古  津の国のなにはの春は夢なれや蘆の枯葉に風渡るなり               西行
「二十一代集」に難波の和歌百二十首あり。
「江家次第」に日く、
八十島祭日。到難披津。宮主作壇。国司作之 置祭物。女官内蔵寮官人等。以御衣。立宮主前。
典侍車并出車等列立。宮主座東。西面北上 件座東立。平張。可敷紳祇官并中宮東宮内蔵等属以下座歟。紳祇官御琴。女官披御衣筥振之云云。
HOME > 巻之四 大坂
inserted by FC2 system