難波御堂(なんばのみどう) 御堂条久太郎町にあり。裏御堂、また南御堂とも称す。京都東本願寺の抱所なり。
本尊阿弥陀仏(安阿弥の作、長三尺五寸ばかり。両脇檀に祖師親鸞聖人、前住上人の影を 安じ、聖徳太子、七高僧、九字十字の名号を安ず) 対面所(御堂の南にあり)書院(対面所の南にあり)鐘堂(御堂の巽にあり)鼓楼(御堂の艮にあり)唐門(御堂の前にあり)茶所(唐門の内にあり、詣人ここに憩ふ)窟門(御堂の後北の方にあり)
 中興第十二代教如(きょうにょ)上人、将軍家より台命を蒙りてこの置を賜り、難波御坊と称す。初め文禄年中には道修町一町目にありて、渡辺御坊といひしとなり。慶長の末にこの地に御堂を移され、南北両御堂とも荘厳艶麗にして他に比類あらず。築垣の石高くして西北の方は土堰を築き、上に映山紅山出さつきを多く植ゑて、盛には花色爛漫として往来の袂を輝かし、市中の壮観なるべし。
 享保十年巳十月なにはの御堂へ東御門跡御下向の時、里村昌築(さとむらしょうちく)取次にて奉りける狂歌一首前書、
      おほけなき御事を心にかへりみもわかずかくなんよみて奉りける
  足引の山より高き御恩かなお痛ながら衆生済度に    鯛屋貞柳      御前を宜しきやうにと昌築へ申し入るとて
   鱗ももれぬちかひの網なればちよつと御前へまかり出たいや  同
      御盃を頂戴して
   物の名も所によりて土器の御盃ともいひあぶらつきとも    同




難波別院(なんばべついん)  大阪市中央区久太郎町4-1-11
真言宗大谷派 本願寺第12代教如上人は文禄2年(1593)本願寺留守職を弟准如上人に譲り、文禄4年(1595)大坂渡辺の地に大谷本願寺を建立。
慶長3年(1598)現在地に移転。 御堂会館  山門を兼ねた会館。昭和60年新築、平成8年改修。


本堂
東本願寺が慶長7年(1602)に徳川家康の寄進により京都に建立されるまで、難波別院が真宗大谷派の本山であった。
正徳4年(1714)に建立された旧堂宇は昭和20年(1945)戦火により焼失。昭和36年5月に再建された。


大谷本願寺梵鐘  
文禄5年に鋳造された、東本願寺の草創を伝える唯一の宝物。
大谷本願寺 文禄5丙申暦林鐘下旬第四日 大工我孫子杉本藤原朝臣佛善左衛門尉家告次


鐘楼
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