高津社(こうづのやしろ) 郡戸(かうづ)にあり。例祭六月十八日。秩祭九月十八日。
祭神仁徳天皇 上古の社地はこれより北にして、小橋寺町より餌指町に至る所なり。原は聖徳太子初めて神廟を建てて祀りたまふ。
その後、桓武天皇平安に遷都あつて洛北平野に移し、すなはち平野大明神と称す。
  『続古』  難波拝に冬ごもりせし花なれや平野の松にふれる白雪   玄隆
この歌は京師平野社奉納の詠なり。浪花に平野の旧号聞こえず。順の『和名抄』にも見えず。
今の平野橋・平野町は後世の名にして証すべきにあらず。すべて難波に仁徳天皇を所々に祭るは旧跡によつての勧請なり。勅によって神廟を営みたまふは京師の平野社のみなり。
末社 此売許曾神・春日・蛭子・天満宮・稲荷・八幡・人丸・愛宕・厄神
梅之橋 鳥居の内にあり。南を梅の辻といふ。
この社頭は道頓堀の東に当たりて一堆の丘山なり。遥かに眺むれば大坂市涯の万戸・河口の帰帆・住吉の里・すみよしの浦・敷津・三津の浦まで一瞬の中にありて、難波津の美観なり。
常に茶店に遠眼鏡を置いて詣人を悦ばしむ。柏戸の湯豆腐は世に名高く、石階の下の植木店は和漢の草木を多く貯へて四時花たえず。あるは花塩・黒焼店ありて常に賑しき宮居なり。
高台之頒碑(こうだいのしようのひ)杜頭にあり。近年明和九年壬辰秋八月朔日建つ。平安芥煥彦章(かいかんけんしょう)甫撰、浪華牟純平介(ぼうじゅんへいかい)甫書す。この碑文ここに略す。世に非高台碑、非非高台碑の雑論あり。取らず。
  甍こし若葉や越えて西の海     一音
  家千戸梅も千もとの匂ひかな    斑竹
高台和歌論
『新古今』賀  みつぎものゆるされてくにとめるを御らんじて
  高きやにのぼりてみれば煙たつ民のかまどはにぎはひにけり      仁徳天皇御歌
この歌を古来より仁徳帝の御製にはあらざるよしを云ひ伝へり。延喜年中『日本紀』竟宴の時、仁徳天皇を題にして左大臣藤原時平公の詠める歌なり。また一説には時平公の舎弟正二位藤原忠平卿の詠めるともいへり。この忠平卿は『延喜式』の撰者なり。
 延喜六年閏十二月十七日『日本紀』竟宴記云ふ、
  高きやにのぼりてみればけぶりたつ民のかまどは今ぞとみける    藤原時平公
かやうに詠まれしを、『新古今』の撰者下の句を引き直して仁徳帝の御歌として入れられたりと云ひ伝へり。しかはあれど正しきものには見え侍らず。漸契沖はじめて考へ出だし、それより賀茂の真淵なども、もはらこの事をいへり。按ずるに『日本紀』に仁徳帝の御歌数百あれどもこの歌見えず。また、その頃の風調と黒白にしていかにも後世延喜時代より已来の風調ならん。
これにて御製にあらざる事明らけし。あるが云ふ、『新古今』の撰者上古に闇くして杜撰せられしとなり。この按もまた違へり。その時の撰者はみな歌道功名の豪傑にして世の人のしる所なり。なんぞいにしへに昧くして勅を奉けて撰者となるべきや。みな名歌数首持ちたまふ五朝臣なり。時平卿の歌を下の句ばかり引き直して賀の和歌の巻頭に仁徳天皇御歌として撲ばれしは深き意味ある事と思ほれける。勅撰なれば論ずる事あらざれども世諺によつてここに記すのみ。



高津宮(こうづぐう) 大阪市中央区高津1-1-29
社伝に依れば貞観8年(866)清和天皇が旧都の所在地を探して仁徳天皇を祀るようにと命じ、橘良基が社地を選定して社殿を設けたのが起こりという。
その後、石山付近にあったが、天正11年秀吉の大坂城築城に当り今の地に遷座し、承應2年に社殿を造営す。
明治5年府社に列せられ、同40年12月餌差町の村社北高津宮(仁徳天皇)を、同41年6月空堀町の無格社金刀比羅神社(大物主神)を、大正元年12月長堀橋筋2丁目の無格社稲荷神社(宇賀魂神・相殿に定次霊・道頓霊・道卜霊・安富霊)を合祀。
本殿は南面し幣殿・神饌所・神楽所・神輿庫・寶庫・文庫・客殿・社務所・望遠亭等相並び、摂社の比売許曾神社、末社の皇太神宮社・住吉神社・天満天神社・琴平神社・春日神社・稲荷神社・大宮比売神社・祓戸神社・恵比須神社・猿田彦神社・高良神社・須佐之男神社・盬竈神社・御井神社・火彦霊神社・宇治神社・少彦名神社・千歳神社・白菊神社・常高神社・高倉稲荷神社等があったが、昭和20年3月、神輿庫を残して尽く戦災で失われた。昭和36年復興。


梅橋


献梅碑 難波津に咲くやこの花 冬ごもり 今は春べと 咲くやこの花  昭和3年建立。


梅ノ井 梅川のほとりにあった名水。


北野恒冨筆塚 河東碧悟桐(かわひがしへきごとう)題字 昭和34年建立。
美人画で知られる北野恒冨(つねとみ)の13回忌に愛筆を埋納したもの。

 
狛犬 昭和54年1月吉日


拝殿


本殿 祭神:仁徳天皇  仲哀天皇・應神天皇・神功皇后・葦姫皇后・履仲天皇


比売古曾神社 


高倉稲荷神社


安井稲荷神社
慶長年間道頓堀開鑿の時、宇賀御塊尊を安井家の邸内に勧請したもの。


高台之頌碑(たかきやのしょうひ) 
仁徳天皇の高き屋より国見をして詠まれた「高き屋にのぼりて見れば煙たつ 民のかまどは賑いにけり」を讃えた碑
芥煥彦章(かいかんげんしょう)撰 牟純平介書 明和9年(1772)建立。


勧善歌碑 生活訓 藤沢南岳書 大正2年2月2日建立。


五代目 桂文枝之碑
上方落語四天王の一人として戦後ほろびゆく危機に瀕した落語の復興に尽力し、多くの弟子を育て、
平成17年1月10日、高津宮での「高津の宮」を最後に同年3月12日鬼籍に入る。  平成18年3月吉日 建立。
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