川崎御宮(かわさきおんみや)天満川崎にあり。
『国花集』云ふ「元和年中松平下総守匡清(ただきよ)侯創建したまひ、三江(さんこう)和尚寺務し、九昌院建国寺と号し、京師建仁寺に属す」と云々。
御例祭四月十七日、この日雑人の参詣を許したまふ。
御境内に観音堂・薬師堂・能舞台あり。すべて社頭桜花多くして弥生の美艶嬋娟(びえんせんけん)たり。


川崎東照宮跡(かわさきとうしょうぐうあと) 大阪市北区天満1-24 滝川小学校
元和2年(1616)に徳川家康が没すると、その子で江戸幕府の2代将軍である秀忠は、家康を東照大権現という神様としてまつり、各地に東照宮という神社を建てることを命じた。
大阪には、翌年、この滝川小学校の地に、当時の大坂城代である松平忠明たちによって東照宮が建てられた。一説には豊臣氏をうやまう大阪の人々の思いを薄れさせるために建てられたともいわれている。
一般の人々は、日ごろは東照宮の境内に入ることは許されなかったが、毎年家康の命日である4月17日を中心に5日の間にわたって行われた権現まつりのときは特別におまいりすることができた。
明治6年(1973)において川崎東照宮は廃された。
   大阪市教育委員会


鳳輦庫
昭和15年5月17日に御輿庫が大阪天満宮の亀の池埋立地へ移築された。
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