この井戸はよきとてこの辺の用水とす。そのひがしの方、植木や吉助が前栽には和漢の名木を多く植ゑたり。
荘子が八千代の椿、王晋が三槐も赤栴檀の香木も植ゑ持ちて、諸州へ船にて積み送るなり。

ニッ井(ふたつい) 道頓堀の東、堀留町にあり。清泉にしてこの辺民家の用水とす。








ニッ井戸跡(ふたついどあと)  大阪市中央区道頓堀1-東6-21
寛永11年、釣鐘「仁政の鐘」の鋳造にあたり、この地に鋳造所を設け、鋳造用冷却水として井戸水を使用したと言われている井戸があった。
石を「四ッ組」にした井戸として珍しがられ、浪速名所のひとつとされていたが、明治22年の区画整理で二ッ井戸が埋設されることになり、 「二ッ井戸津の清」という「粟おこし」の店先に井戸の側石が移された。
その店も今はなく、現在はマンションが建ち、井戸の側石も見当たらない。




旧町名継承碑
『二ツ井門町』
当町は明治初期、大坂三郷南組の高津五右衛門町の一部であったが、明治五年3月二ツ井戸町となった。同12年2月南区に、同22年4月市政の施行にともない大阪市南区二ツ井戸町となった。 昭和5年2月住居表示の実施とともない二ツ井戸町の一部は瓦屋町3丁目の一部となり、さらに昭和58年2月住居表示の実施にともない残部が高津2丁目・道頓堀1丁目の各一部となった。
町名は、二つの井戸が並んで清水を湧出し付近の民家の用水となって有名であったことに由来する。
平成6年3月   大阪市中央区役所

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