頬焼地蔵尊(ほやけじぞうそん) 谷町条地蔵阪専修院にあり。地蔵確は慈覚(じかく)土師の作。
初めは相模国林付にありて、永仁年中鎌倉茅原(ちはら)里助太夫が家に一人の賤女(しづのめ)あり。この地蔵尊を信じて、毎日昼食を田畑へ運ぶ道なれば初穂を尊像に供す。助太夫これを聞きて怒って、下女が頬面(ほほづら)へ焼鉄(やきがね)を宛てて折檻(せつかん)に及ぶ。かの女たちまち気絶して倒れ臥す。姑(しばら)く有りて起きてみれば恙(つつが)なし。これ地蔵尊の奇特ならんと詣して尊像を見れば、面貌(めんぼう)焼けただれてまします。ゆゑに世に身代頬焼地蔵菩薩と世に賞じけるとなり。








専修院(せんしゅういん) 大阪市天王寺区谷町9-5-62
浄土宗知恩院末寺 一向山 慶長二年(1597)僧周伝の開基。 
 

本堂


頬焼地蔵(ほおやけじぞう) 戦災で有名な地蔵は焼失した。
寺前の坂を地蔵坂という。










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