御霊社(ごりょうのやしろ) 船場平野町の西、亀井町にあり。天正年中亀井能登候の第この地にありて勧請しけるとなり。莵布良神祠(つぶらやしろ)といふ
祭神 社説に曰く、中央、天照太神、左、八幡宮、右、鎌倉権五郎景政の霊を祭るとぞ。ゆゑに世人、五郎祠とも呼ぶ。
例祭、六月十七日、御輿を大川筋より船にて下博労御旅所へわたす。安永九年より始まる。
秋祭は九月二十七日なり。社地市中なれば常に詣人多く、芝居・市店多し。
神水 神籬の内にあり。宗源殿 本社の左にあり。天照大神を祭る。末社 朝吉祠・仁徳帝祠・唐崎祠・人丸祠・笑姿祠・稲荷・弁財天・天満宮・祇園祠・住吉祠・愛宕祠・荒神・歓喜天・猿田彦。莵布良祠 神前にあり。基治祠 菟布良に隣る。本地堂 薬師仏を安ず。神楽所 本社の左にあり。 観音堂 神楽所に隣る。



御霊神社(ごりょうじんじゃ) 大阪市中央区淡路町4-4-3
旧摂津津村郷の産土神、もと圓神祠(つぶらしんし)という。文禄3年津和野藩主亀井茲矩が邸地を割いて寄進、境内の乾八幡宮と源正霊神とを本殿に合祀、寛文年中御霊神社と改称。元禄9年御霊大明神の社号を賜り、宝暦3年9月には正一位の神階を授けらる。


青銅狛犬
この青銅狛犬1対は大谷相模掾藤原正次の作で、その造顕を元和年間と伝えられ、優秀珍貴の逸品としてはやくより折紙付きのものであって、当神社拝殿前に永く社殿を守護するごとく置かれてありました。第二次大戦時の供出に際しては、関ヶ原の役以前のものと共にその供出を免れ、戦後は神庫に保管されていたのであります。今般、總代会の決議によって、總代各位の浄財で、その台石を造り、本年の建国記念日を期して、社頭守護に任じて、この位置に再興致しました。 昭和46年2月11日 御霊神社宮司 園 克己


拝殿 
大正15年境内の人形浄瑠璃の文楽座が出火し、本殿が類焼す。
昭和5年再建するも、昭和20年3月14日の空襲ですべて炎上。昭和32年12月再興す。


本殿 祭神:天照大神荒魂(あまてる)・津布良彦神(つふらひこ)・津布良媛神(つふらひめ)・応神天皇(おうじん)・源正霊神(げんしょう)


東宮  東側:戸隠社・竈戸社・稲荷社・事平社・春日社・多賀社
     中央:猿田彦神社・皇大神宮・五福恵美須神社
     西側:水神社・大雷社・龍神社・住吉社・菅原社・加藤社


松之木神社 祭神:松之木大神・朝吉大神


大黒社 祭神:大国主命


不動明王


大阪33所観音めぐり よをてらす ほとけのしるしありければ またともしびもきえぬなりけり
江戸時代末期まで比叡山延暦寺 天台宗神宮寺があり、薬師如来堂、伝教大師堂があり、観音堂の本尊十一面観世音は浪花観音巡礼33番目の札所であった。


靱の碑(うつぼ)
御霊神社の前身である圓神祠(つぶら)が文禄3年(1594)まで靱の地にあったことから、それを後世に伝えるため明治27年5月に建立された。


句碑 幕張って 店商へる 祭かな 芦田秋窓(あしだしゅうそう) 
本名喜三郎 秋双トモ号ス 明治16年2月24日大阪平野町ニ生ル 明治30年正岡子規ノ門ニ入ル  俳句 俳団 白扇社 昭和27年2月建之


文楽座之跡
本流人形浄瑠璃文楽座は明治17年9月この境内に新装なり柿落としを行ってより大正15年11月火難に遭うまで四十有余年近世文楽における全盛期を送り迎え大阪市民の永久に忘れ得ぬゆかりの地であることを記して銘とする 昭和49年 文化の日 御霊神社宮司 園 克己
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