来山蹟(らいぎんのあと) 今宮村にあり。その裔孫存す。
来山はもと堺津の産にして、壮年に居を大坂船場 に移し、その後この里に閑居す。その草庵を十万堂といふ。額は悦山の筆なり。
誹諧をもって世に鳴る。浪花の逸人なり。
   梅花名に呼びよくてにほひかな    来 山
   みかへれは寒し日暮のやまざくら     同
   時鳥裸で起きて橋二つ     同
   早乙女やよごれぬものは歌はかり     同
        長夜
   初夜と四つあらそふ秋に成りにけり     同
   干網に入日拝めつつしぐれつつ     同
女人形記(をんなにんぎょうのき) この陶工女人形は長一尺ばかり、座して膝を立てて脇息にかかる。今十万堂にあり。
西行法師に銀の猫をたまひけるに、門前の童にうちくれて通りけるよし、いはくこそあらめ.われは道にてやきものの人形に行きあひ、懐にして家に帰る。昼は机下にすゑ置きて眼に悦び、夜は枕上にやすませてねぎめの伽とす。
世をつくづくと見れば、妻木の達磨などを崇めて科もなき身を白眼つめらるるよりは、はるかまきりてんや。ものいはず笑はぬかはりには、腹立てず、悋気せず、蚤蚊のいたみを覚えわは、いつまでも居住を崩さず、留主に持つらんとの心地もなし。 酒をのまねは心うけれど、さもし気に物くほぬはよし。四時同じ衣裳なれど、寒暑さへしらねば、この方気はりどころさらになし。夏はむかふに涼しく、撫づるに心よく、冬は炉のもとをゆるさわはよいかげんに暖かなり。愛のあまりに腹上に置く時は、呼吸にしたがひてうなづくうなづく細目してうなづく。女の石になりかたまりしためしをおもへは、石が女に化すまじきにあらず。ものにさへあたらずば、千とせをふるとも変ずまじきかたち、風老がなからんあとの若後家、さりとては気遺なし。舅は何国の土工ぞや。出所をしらず。あらうつつなのいもせものがたりやな。
     折る事も高根の花や見たばかり   湛々老人米山








十萬堂跡(じゅうまんどうあと) 大阪市浪速区蛭子西1
小西来山は元禄時代の俳人で、この近くの十万堂に住み幾多の名作を残したが、その建物は戦災で失われた。
小西來山は晩年、ここ今宮の地に居を構え「十萬堂」と名づけ閑静な余生を送った。
来山没後、2世の一来、3世什来、4世什山と8世までここに居住した。



来山夜明け句碑
夜の明けて尾花大きく成りにけり
元禄時代談林俳諧の宗匠として活躍した小西来山は、天満に居を構えた西山宗因の直弟子でありました。 此処に真蹟を刻んで句碑として建てます。
昭和59年10月建立 大阪天満宮境内
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