北向八幡宮(きたむきはちまんぐう)  活玉門前南の方、蓮池の側にあり。生玉の社司松下氏守護す。
勧請の初めは、慶長年中城中の諸士、此地に於いて射御の稽古場によつて、八幡宮を勧請しけるなり。今五月五日の流鏑馬はこの遺風なり。地名も今において馬場前といふ。北向は御城守護の謂なり。



城方向八幡宮(きたむきはちまんぐう)  生國魂神社境内
祭神:譽田別命(こんだわけ)・ 氣長足媛命(おきなかたらしひめ)・ 玉依比賣命(たまよりひめ)

『大阪府史蹟名勝天然記念物』
 本社正門を出でて東する数十間、右側に北向八幡社あり。誉田別尊を祀る。社は慶長年中の創建にして、武神なるを以て、常時大阪城内の士人は此所に射御を学びきと。其風残りて毎年五月、流鏑馬の演技となり、社道に於て之を行ふ。其北向と称するは、大阪城に対して、之を守護するによると。北向八幡の本殿は、八棟造、朱塗極彩色にして建坪十五坪あり。拝殿は出唐破風拝殿造白木にして、建坪三十坪五合あり。社は摂社なりしが、明治十年末政となり、社域千五百五十坪に余り、西北二方は、蓮地を繞らせり境内北方左右に鞴紳家造神社の二小社あり。
 北向八幡と町を隔てて、北方に精鎮社、浄瑠璃社の二社相並ぶ。共に生魂神社の末社にして、境内には蓮池あり。

昭和20年の大阪大空襲で焼失し、蓮池も埋め立てられ、生國魂神社境内に遷座されました。
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