梅薬師(うめのやくし) 稲荷近隣にあり。本尊石薬師。境内に紅梅多し。衣更月、未開紅は風艶斜ならず。
火をともす梅の火うちの石薬師どこのを見てもここがかちかち   貞 柳










江戸時代、玉造稲荷神社は西面していたようです(現在は南面)。

長寶寺(ちょうほうじ) 大阪市平野区平野本町3-4-23
「同社(玉造稲荷)の付近は明治維新までは稲荷山と呼ばれて樹木繁殖し、その北東に接する732番地り同734番地に至れる今の加藤某の邸は、梅の薬師のありし所なり、石薬師を本尊とし境内に多くの紅梅ありければ、開花の候には風艶斜ならざりしといふ。
もと大和郡山藩主柳沢家の寄付に成れる建物ありて同家祖先の位牌を安置せしが、東成郡平野郷町大字西脇長寶寺の33代慈源大師の同 寺住職となりて当坊より移るに及び、之を同寺に移せり、今は同長寶寺の庫裏の一隅となれるも、尚其の位牌及び丈6寸許の釈迦如来の像は安置せらる、されば当時梅薬師は尼僧の住せし所ならんか。」 『大阪府全誌』
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