鶯塚(うぐひすづか)長柄村田圃の中にあり。塚上に古梅あり。花英六形なりとぞ。
土人云ふ、元朝この梅に鶯来りて鳴き初むるといふ。この塚について説々多し。後人附会の論をなす。採るに足らず。按ずるに、上古高貴の荒塚なるペし。この類所々にあり。





鶯塚(うぐひすづか) 大阪市北区長柄東2
明治の初頭、田圃の中に芝の生えた墳丘があったといい、その埋葬者に諸説ある。 長柄豊碕宮が置かれた時、孝徳天皇が愛した女官・鷺式部は才知美貌抜群で、同僚の妬みにあって大化4年(648)3月、二十代の前半の若さで没した。それを天皇が憐んで築塚したという。 また、『芦分船』や『摂陽群談』には、長柄長者のひとり娘が鷺を飼っていたが、年若くして亡くなると、鴛もすぐあとを追って一声鳴いて死んでしまったので、父の長者が娘と一緒に鷺を埋葬したという。



白蛇の祠                   籐八大明神

鶯塚  貞享3(1686)銘の五輪塔  出世仏(大正15年・1926に工事中に出土した石仏)


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