利島(としま) また冨島と書す。南中島・三番・十三・塚本のほとりをいふならんか。『八雲御抄』『藻塩草』、摂津国。一説には淡路。今、安治川の東、富島町は元禄年中の開発にして、古号を呼びて名付くるなり。富岳の旧跡にはあらず。
『玉葉』 島づたひとしまの崎をこぎ行けばやまと恋しく鶴さはになく 赤 人
『新拾遺』 たまもかるとしまをすぎて夏草の野島がさきに舟近づきぬ 人 丸
『勝地吐懐編』云ふ「右二首ともに『万葉』第三に出でて、としまはともに敏馬とかきて、今の本にはならびに三ぬめと点せり。おなじ所を三犬女などもかきたれば、としまはよみ損じたる古点なりと知るべし」云々。
敏馬浦は蒐原郡大石村にあり。巻末に見えたり。この辺むかし大江の中なれば、江・海・島等の字多し。三番村富島氏云ふ、いにしへこの所は冨島圧といへりとなり。
『金葉』 風はやみとしまが崎をこぎ行けば夕波千鳥立ちゐなくなり 神祇伯顕中