竹林寺(ちくりんじ) 衢壌島にあり。浄土宗恕心山宝樹院と号す  
本尊阿弥陀仏(恵心僧都の作、長三尺ばかり。開基は教誉上人。本願は香西哲雲。寛永年中の建立なり。この哲雲の支族、今、池山氏とて衢壌島にありて村甲を勤む。祖先の武具を伝来す) 三股竹(みつまただけ)庭中にあり。この地開発の時、ここに生じ、三股より阿弥陀の小像出現す。ゆゑに竹林寺といふ)香之梅(庭前にあり。哲雲当寺修造の時、この樹を植ゑて難波津香之梅と銘し、和歌を詠みて鳥丸光広(みつひろ)卿に奉る。すなはち返歌を贈りたまふ
   敷島や道の名高き君なればかざしにおくるなには津の梅  哲 雲
       返し
   折る人のなくば都に誰しらん色をも香をも難波津の梅    光広卿



竹林寺 大阪市西区本田1-9-3
 竹林寺と九条
竹林寺は慶安2年(1649)に香西晢雲(こうさいしょううん)が建てたお寺です。東寺の九条は淀川の浸食によって民家は水害に見舞われていました。そんな折り、河川の修築に詳しい香西哲雲が地元の池山新兵衛(いけやましんべい)と協力して川口の砂洲を修築し、水害を防ぎました。土砂を盛って出来たので「九条島」と言われていました。
 竹林寺という名前について
香西哲雲が九条開発の時、自然に生じた「三股の竹」から阿弥陀如来の小像が現れた事から『竹林寺』と名付けられたと伝えられています。
 開山上人
岌頓法師(ぎゅうとんほうし)という念仏業者が竹林寺を念仏道場として多くの老若男女を集め、日々念仏を申しました。この岌頓法師が開山『教誉上人』(きょうよしょうにん)です。
 松島 戎島
もと寺島とよばれた「松島」は寺島の北端に樹齢三百年といわれる有名な松の大木があり、この松と寺島を合わせた名といわれ、歓楽街として賑わった所です。北側の「戎島」は竹林寺の梅ノ木にちなんで、梅本町と改名されました。


本堂 本尊:阿弥陀仏


韓人墳
江戸時代、前後12回にわたり将軍の代替わりの祝賀に「朝鮮通信史」が訪れました。
明和元年(1764)、11回目に来日し、竹林寺で亡くなった金漢重(キムハンジュン)崔天宗(チェチョンジョン)の墓が今も大事にお守りされています。


竹本磯太夫の墓  松島文楽座で活躍したという。

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