田蓑島(たみののしま)あるが云ふ、浦江・大仁の地なり。一説には佃島に田蓑畠と称する地これなりとぞ。
ともにさだかならず。田蓑神祠は大坂座摩の摂社にあり。
『古今』 難波潟汐みちくらしあま衣たみのの島に鶴鳴きわたる 読人しらず
同 雨による田蓑のしまをけふ行くとなには隠れぬ物にぞ有りける 貫 之
『風雅』 ほさでけふいくかになりぬあま衣田みのの島の五月雨の頃 高階重茂
『堀川百』 霜うづむたみのの島にすむ民の名にはかくれぬ袖やさゆらん 家 隆
難波八十島の1つ田蓑島は佃島とも言われるが断定できない。
『顕注勘』には「田蓑島は天王寺側に在り、遠所の七瀬の一なり」、 「住吉大社解状」には「田蓑島姫神社、在西成郡」とある。
現在の中之島・浦江・鷺州・海老江一帯はかつては田島と呼んでいる。
田蓑橋(たみのばし) 元禄6年(1693)に堂島開発に伴い、堂島川に掛ける。
宗祇の『方角抄』に「天王寺の西乾の方よりの海辺、海道の南なり」とあることからこの辺を田蓑と定め、橋名にとどめている。
明治18年(1885)の洪水で落ち、木桁橋で復旧されたのを、明治34年(1901)に鉄柱の橋に改築。
昭和4年(1929)に鉄筋コンクリート柱に改築し、昭和40年(1965)に鋼床版桁橋に改築された。