難波の高台の内に位する玉造稲荷社の所在地は、古代には玉作岡とて玉作部に所属する曲玉作りの集団居住地であった。
故に大阪においてもっとも由緒のあるところというべきである。 この高台に仁徳天皇は高津宮を営み、わが国初の都城をつくられたが孝徳天皇の長柄豊崎宮、天武天皇から聖武天皇にいたる難波宮がこれに続き、今なおその遺跡は厳然として残っている。 そのゆかりの地に今大島靖大阪市長の題字を得てこの碑を建立するのは、まことに意義深いことである。 昭和49年7月13日 槇村史陽識 |
当町は明治諸島、大坂三郷北組の岡山町・稲荷門前町・稲荷中之町の各一部であったが、明治5年3月各町の一部をもって岡山町となった。同30年4月大阪市東区に編入され、玉造大字西玉造字岡山町となり、同33年4月岡山町となった。昭和54年2月住居表示の実施にともない、岡山町は玉造1〜2丁目の各一部となった。 町名は、この地が古来より、玉作岡または栗岡山と呼ばれていたことに由来すると考えられる。 平成6年3月 大阪市中央区役所 |
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