絶間池(たえまのいけ) 千林村にあり。今なほ一の絶間と称す。古来より河州茨田郡に属す。
今、池水乾涸す。
『良玉』 恋ひわびておつる涙もつもるかなあほぬ絶間の池となるらん 常 陸








強頸絶間之址碑(こわくびたえま) 大阪市旭区千林2-12−23 高木邸内

日本書紀の仁徳天皇11年10月の条に、難波宮の北に堀を掘り、旧大和川などの滞水を海へ導き、水害を防いだ記録がある。
また、淀川の治水対策として、茨田堤(まつだのつつみ)も築いたという。
その築堤は難工事で、川の神に「いけにえ」を差し出すことになり、武蔵の強頸絶間と、河内の茨田連衫子(まつたのむらじころもこ)の2人が連れてこられた。
衫子は策を用いて難をのがれたが、強頸は泣く泣く人柱にたったという。これはその伝説にもとづいた碑である。

堤根(つつみね)神社(大阪府門真市宮野町)の北東に100m余の土堤が保存されている。太間は絶間の訛った地名。太間公園の南東に絶間橋がある。


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