如来塚(にょらいづか) 塚本村にあり。
伝へ云ふ、むかし播州加古部野口村念仏堂の開基教信伝来の天筆阿弥陀の画像を、後世大念仏宗の法明上人、教信の霊告によつて感得したまひ、初めてここに結縁ありて、供養の塚を築きし所なり。
この天筆の画像は浜村源光寺にあり。次下に見えたり。この如来塚より塚本村の名出づるなり。









塚本如来塚(つかもとにょらいづか) 大阪市淀川区塚本6-4 超安寺管理墓地
左3つの古石で、長円型に三梵字が残り、他の二石には如来像が刻まれている。
播州加古郡野口村にある念仏堂の教信和尚が描いた阿弥陀仏の画像を、大坂の深江にいた法明上人が夢告を得ていただき、建武年間(1334頃)当地に供養塚を建てて祀ったところ、人々が如来塚と呼んで信仰し、これが評判となって如来塚のある里の意で、塚本の名が起こったという。
『大阪府全志』に「東西一間八分 南北一間の封土上に三碑を置き、三梵字を刻し、都下塚は字西にありて、東西五間南北二間の封土上に一古石存せしが、新淀川の敷地となりしかば、旧中津川南堤築地の東へ移されると伝へいふ」とある。


超安寺(ちようあんじ) 大阪市淀川区塚本4-1-18
真宗西本願寺末寺 明眼山 本尊阿弥陀仏。
近江国の三上超安という人が当地に来住し、本願寺艮如の弟子となり明暦元年(1655)に創建した。
山号に因んで秘伝の目薬を発売し、「超安寺の星とり目薬」ともてはやされた。

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