野田城跡 戦国時代、畿内一円に勢威をふるった三好一党がこの地に築いたが、後に改築され、石山本願寺ついで織田信長方の重要拠点となった。字「城之内」と呼ばれたこの辺りがその中心である 平成二年三月 大阪市建立 |
野田城跡 大阪城がまだ本願寺であった室町時代に野田城(玉川四丁目交差点(旧名城の内)より東は恵比寿神社の東側(旧名弓の町)迄が城域で、その中心地が当地(旧名奥の町))を訪れた本願寺第十世証如上人が六角定頼に包囲されたときに、蓮如上人の教化を受けていた野田福島の念仏者が証如上人を守護せんとして、二十一人が殉教された(天文二年八月九日)これらの討死衆の菩提寺として建立されたのが当寺極楽寺で、その後、本願寺南御堂の掛所となり、野田御坊と名付けられ、今日に至っている。 平成13年(2001年)建之 野田御坊極楽寺 |
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