森宮(もりのみや) 玉造森村にあり。委しくは鵲森なるべし。
『日本紀』、推古天皇六年夏四月、鵲二喉を難波の杜に養はしむとは、すなわちこの地なり。
明応の頃この辺に本願寺御堂あり。信長と和融の後、紀州雑賀に退去す。しかれども旧名を呼んで紀州においても今に鵲森御堂と称す。
祭神用明天皇 上宮太子の御父帝なり。崇峻天皇二年秋七月、聖徳太子この地にはじめて四天王寺を興立す。二十五ヶ年を経て今の荒陵山へ移したまふ。ゆゑにこの辺旧址に金堂・講堂・駒が池・大池の淵などいふ字の地今にあり。
摂社 間人皇后祠・真神太神祠 
末社 八幡宮・稲荷・粟島・天満宮・蛭子・猿田彦・事代主命・伊勢神遙拝所あり。
蓮如上人祈松 社前にあり。蓮如上人この松下に座して、当社の神ならびに上宮太子に、一宗海内に弘通し信心の門徒繁昌を祈りたまふとなり。また玉造の内に蓮休寺といふ本願寺末派の遺磯あり。蓮如上人往来の時、ここに休みたまふゆゑこの名を呼ぶ。今は休の字を久と改めしとぞ。
亀井水 本社の東にあり。
入湯沐屋 社家にあり。常に亀井水を汲みて諸人に入湯なさしむ。万病平愈すとぞ。ゆゑに男女に限らず病苦のものここに来りて入湯す。その霊験あり。『清氏枕草紙』に云ふ、湯は玉造の湯。『春曙抄』季吟の註、国いまだ考へずとあり。
当社例祭は、五月八日御田植、六月晦日夏祓、九月十六日秋祭。神宝に草刈笛・夢殿の眈・駅路の鈴等あり。


鵲森宮(かささぎもりのみや) 大阪市中央区森ノ宮中央1-14-4
通称:森之宮神社 崇峻天皇2年(589)創建。聖徳太子がこの森に元四天王寺を建立したという。
『日本書紀』推古天皇記に、 「6年(598)4月、難波吉士磐金(なにわのきしめいわかね)、 新羅より至りて、鵲2隻を献る。乃ち難波社に養はしむ。」と、 この森に鵲を飼わせたことから社名となる。


拝殿


本殿  祭神:用明天皇・穴穂部間人皇后・聖徳太子


奧社 祭神:天照大神・月読命・素盞嗚命


五幸稲荷社(ごこういなりしゃ) 祭神:宇賀御魂命
平成の遷座で猿田彦命・大己貴命・熊鷹大明神・烏丸明神・天神・八幡大明神・忌部社、真目宮等を合祀。


亀井水



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