柴島(くにじま) 今土俗、国鳥と書す。この辺淀川の流れを汲んで布木綿を晒す。これを柴島晒といふ。
むかしこの所に茎渡口(くきのわたし)あり。今擬すなり。
『日本紀』云ふ「仲哀天皇八年春正月、没利島(もとりしま)阿閇島(あべしま)を限りて御筥(みくしげ)と為す。柴島を割きて御○(みなへ)と為す」云々。


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