吽形 5組10頭が並んでいます。 明和5年(1768)9月 天明7年(1787)9月 天保2年(1831)8月 乳牛牧之處 嘉永5年(1852)2月 嘉永7年(1854)4月 |
阿形 合祀された祭神にお供をして来た狛犬も、 このように整然と並べられているのは珍しい。 |
拝殿 明治4年(1871)応神天皇を主祭神に復し、大隅神社と改める。
明治37年(1904)幣殿を設け、再興。平成8年(1996)改築。
本殿 祭神
明治年間に合祀。後に松山神社は旧に復す。 |
天満宮 祭神:菅原道真公 | 狛犬 明治10年(1877) | 臥牛 |
稲荷社 祭神:宇賀御魂神
摂州西成郡北中嶋之内、乳牛牧の荘とも呼ばれたこの地域に大道村・辻堂村・三宝村があり、これら3村の氏神として賀茂大明神・稲荷神・山王神を三社相殿(本社)に、祇園・伊勢・春日・八幡・天神を五神相殿(末社)に祀り、賀茂大明神社の境内にあった真言宗無本寺の僧が祭祀を兼帯し、上記3村は南大道村・北大道村とも呼ばれ、まとめて三大道と称されました。 慶長12年、無本寺は三大院と改め、真言・禅宗の社僧は法祐坊から全良和尚まで8代続きました。 貞亨3年、玄光和尚は大道寺と改め、三世雲門和尚は竹凉菴を起こし、修行僧は100人を超すときもあり、禅修行と神社の維持・祭祀を受け継いできました。(乳牛山大道寺年譜参照) 大道寺十三世のとき明治維新を迎え、大道寺・竹凉菴を廃し明治6年、賀茂大明神社は大隅神社と改められました。 此碑より北50メートルの飛地に大道寺の墓地が現存します。 |
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