鶴満寺(かくまんじ) 南長柄にあり。天台律宗雲松山慈祥院と号す。近州坂本西教寺に属す。
本尊阿弥陀仏(慈覚大師の作、長四尺ばかり。地蔵尊側に安ず。開基は久遠にして詳らかならず。
中興忍鎧(にんかい)上人・延享年中の再建なり。
百体観音 秩父・坂東・西国等の巡礼所、すべて百体の観世音を安ず。また堂下にその国々の観音堂の土を聚めてここに布きて建つるなり。
梵鐘 長門の国主毛利侯より寄附なり。往昔城下の辺土中より堀り出だす。鋳銘・彫銘あり。もとは中華の器物なり。鋳銘に云ふ。
西晋二世恵帝大平十年庚申は永康元年なり。本朝応神天皇三十二年に当たる。今寛政十年まですべて一千四百年になるなり。また梁の元帝の時、太平の年号あり。一年にて終はる。また宋の太宗の時に太平興国の年号八年にして終はる。時は当山の鐘大平十年とあれば西晋の大平ならんか。
 彫銘に云ふ、
     長門州厚東郡宇部(あさぐんうべ)郷松江山普済禅寺
 鐘声を聞けば煩悩軽く、智恵長じて菩提生ず。地獄を離れ、火坑を出づ。願はくは成仏して、衆生を度せん。皇風永く扇ぎ、常道はるかに昌へ、仏日増輝かし、法輪常に転ぜん。天下太平、四海静謐、専ら祈る、諸大檀那の信力弥堅く、善根増長し、二世の顧望一切円成ならん。次いで冀くは山門鎮静、海衆咸く安じ、修行慶有り、進遺魔無し。般若智現前の菩提心を以て退かず、四恩総て報じ、三有偏に資して、法界情を含み、同じく種智を円くせん。
   永和五己末の歳仲呂日



鶴満寺(かくまんじ) 大阪市北区長柄東1-3-12
天台宗西教寺末寺 雲松山
慈覚大師が河内の国に開き、永年廃されていたのを南方村の猟師瓦林鶴林が永年の殺生を悔いて同村に再興、その後また荒廃していたのを艦砲年(1743)大阪の豪商上田宗右衛門広久が譲り受けて、当地に移し、京の千本通、上善寺の僧忍鎧(にんがい)を招いて宝暦3年(1753)堂宇を完成させた。


本堂


観音堂











太平10年(1030)銘の朝鮮鐘(重文)は関係当局ならびに専門家諸氏の助言により、保管場所を変更し、非公開とのこと。
鐘楼
田原菊翁(たはらきくおう)墓 
菊翁居士
なかぬ子を啼て育てる蛙かな
文政十二年九月十六日 田原氏

鬼貫供養塔
鬼貫翁
おもしろさ急には見えぬすすきかな
元文三成午八月二日円寂 七十八歳
鬼貫追薦句碑
百とせのけふの昔や二日月  菊翁



風害慰霊塔

昭和9年9月21日の室戸台風に豊崎第4小学校の校舎が倒壊。
学童19名が亡くなりました。

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