猪甘津橋(ゐかひづのはし) 小橋村の東、くだら川に架す橋をいふ。一名、鶴の橋。
 『日本紀』日く「仁撼帝十四年冬十一月、橋を猪甘津に為す。すなはちその処を号けて小橋と日ふ。
この年大道を作りて京中に置く、南の門より直にこれを指して丹比の邑に至る」云々。
     家 集     しのぶれど人はそれぞと御津の浦にわたり初めにしゐかひ津のはし       小野小町
 猪甘橋修造勅宣
 仁徳天皇勅して小橋の国餌甘津の橋を造る、作事成りて訖んぬ。供養の導師快賢、
 並びに孤独貧人に施行有るべし、勅宣を蒙り訖んぬ。
   養老四年歳次庚申秋八月癸末朔十三日丁酉
                                              従四位下臣山守
山守朝臣は人皇四十三代元明帝の臣にして、和銅七甲寅の年、従五位下に叙す、霊亀二丙辰の年遣唐使為り。
養老三戊末の年従四位下に叙す。









つるのはし史跡公園 大阪市生野区桃谷3-17
つるのはしは、もとの平野川にかけられていたが、この川は昭和15年に埋められ新平野川に改修されたため廃橋となった。 日本書紀に「仁徳天皇猪甘津に橋をつくる、この処を小橋と名付く」とあって、文献のうえでは、わが国最古の橋であるということができる。
むかし、このあたりに鶴がよく飛んで来たところから、いつのまにか鶴橋と呼ばれるようになった。
                                       昭和49年3月 生野区役所

鶴橋は昭和15年(1940)に新平野川の開削で廃橋され、石碑と親柱4本を平成9年4月に公園に保存。
HOME > 巻之三 東生郡
inserted by FC2 system