淀川河口付近の新田開発が進められた江戸時代に当地九条島では寛永元年(1624)ごろから河口の浚渫(しゅんせつ)と新田の開発工事が始められ、その完成に伴って境内が区画され社殿が造営されて神社としての規模が整い、九条新田の産土神として、また周囲の河川守護の神として住吉大神をお祀りしました。これが当神社の創祀にあたります。 |
寛永元年、香西哲雲、九條島開発の際、勧請せし所にして、其折蔓延せる荊棘を芟除して、社殿を建設せしにより、名に茨の字を冠すと云ふ。一説には、菟原郡(兵庫県)の住吉神社を分祀せしものにて、菟原と茨と同音なるを以て茨となしたるなりと、然れども前者を正しとすべきか。 |
市杵島姫神社(弁天社) 祭神:市杵島姫神
摂津名所図会巻三(寛政十年・1798年頃刊) 所載の当神社「かきつばたの池」 に描かれており ますお社で、その後 大正年間に 「亀の池」 にお遷 しをし更に昭和53年有志の方々の御寄進によ り御神木の傍らにお祀りをすることになりました。 この御神木は九条島の当初から空高く聳え、樹齢 六・七百年を数えた障木の大木で多数の巳が生息 して信仰の対象になっていましたが、戦災で焼損 しましたので、その障木の御霊を偲びこのお社に あわせて お祀りいたしました |
戦前、境内の西東隅に在って賑わっていましたが 昭和26年に再建され 更に昭和40年の造営 工事にともなって現在地にお遷しいたしました。 |
昭和20年3月13日夜半戦火により社殿を始め 諸建造物時餘にして炎上悪恐懼痛惜の至りなり 神職 総代 復興に専念せるも 壱億五千萬圓 必要とする資金の 造成は容易ならず 審議の末 社有地を處分して其大半を得 氏子崇敬者寄附金 其他を併せて漸く財源を確保 昭和39年初夏 着工の運びとなる 昭和40年秋には先づ社殿竣工 続いて参集殿 渡廊、鳥居門、石玉垣等の建設境域 の整備を行ひ昭和45年夏祭の前日復興御造営 遂に完成せり慶賀の極なり 昭和45年7月21日 |
HOME > 巻之三 東生郡 |