源八渡口(げんぱちのわたし) 西成郡天満源八町より、東生郡中野村への舟わたすなり。
源八渡し跡(げんぱちわたしあと) 大阪市北区天満橋2 大川右岸
この地は昭和11年6月に橋がかけられるまで古くから 源八渡しの船着場であった。江戸時代から明治のなかごろ まで、両岸の堤に桜並木が続き花見客でにぎわった。
昭和62年3月 大阪市建立 |
渡しを東へ越えたところに「中野の梅林」があり、また両岸の堤は桜の名所として名高く、大そう賑わったという。
渡しは明治40年に大阪市営となったが、昭和11年6月、源八橋の架橋により廃止された。
源八橋(げんぱちばし)
天満橋筋と都島区中野4丁目をつなぎ、昭和11年6月に掛けられた。
長さ201.2m、昭和46年拡幅工事がなされた。
西橋詰に林野局があり、東詰橋下から下流にかけて貯木場となっていた。