清浄瑠璃山三味院源光寺(しょうじょうるりさんさんまいいんげんこうじ) 南浜村にあり。浄土宗無本寺。
本尊天筆阿弥陀如来 長一尺九寸。法明上人感得したまふ。
鎮守 子守勝手神・大浜九重神、また歓喜天を安ず。
寺記に云ふ、
  それ、当寺は古刹にして、聖武帝天平勝宝年中、大僧正行基三昧火坑を始むるの古蹟なり(今、浜の墓所と云ふ)。
その側に精舎を草創し、土・木・石の三仏を造りて、ここに安置せられ、その後大原良忍(りょうにん)上人中興して、融通大念仏宗を弘通し、一派の本寺となしぬ。
本尊天筆(てんぴつ)の尊像は、初め貞観年中、播州加古の教信、和州吉野子守勝手神より感得し、野口の念仏堂に安置せる事年久し。
また後建武年中、融通念仏の宗派法明上人、子守勝手の霊告を蒙り、加古の念仏堂に至り天筆の本尊を乞ふ。
寺僧も霊告によりて法明を浜辺に出で迎ひ、速やかに授与しけり。帰帆に浪風あらく揖(かぢ)を折ってすでに危く見えたる所、この尊影を海上に開けば波涛たちまちに静まりぬ。今その所を御影浦といふ。
難波富島に着岸して村里の道俗結縁する事三万余人なり。すなはちこの地古寺なればとてここに安置し、木尊と奉じける。難波北の方の霊場にして鐘声白雲に和す。中華の鶴鳴寺にも比せんや。
天筆の像、平野大念仏寺にもあり。両幅ありや、その先非をしらず。



源光寺(げんこうじ) 大阪市北区豊崎2-3-23
浄土宗知恩院派 清淨瑠璃山
入江長者が娘の病を治した行事に土地を寄進し、天平19年(747)聖武天皇の勅願寺として開山。平生寺と称す。
建永元年(1206)勝尾寺から法然上人が四天王寺へ日想観を修するために赴く途中、行基ゆかりの寺の荒廃に「源をはづねてぞ知るこの寺の 光あまねき法のともしび」と詠み再興に尽力し、浄土宗に改めた。


本堂 本尊:阿弥陀仏


鐘楼


諸霊法界塔 天保4年



行基菩薩開基南濱墓所(みなみはまぼしょ) 大阪市中央区豊崎1-2-7
南浜墓地・地蔵尊の由来
南浜墓地は行基菩薩(約1300年前)によって整地され我が国最初の墓所であって天平19年7月弥陀如来六観音六地蔵尊を安置し荼毘開闢の供養が行はれた。
その後 世相の変遷により次第に荒退し、大正14年豊崎町より大阪市に移管された。
天満の住人秋田羅以(らい)は日頃嫡子を望み、神佛に祈願してゐた処、ある日一人の行者が訪れ「南浜墓地の南浜地蔵尊を信仰せよ必ず願は叶へらる」と言って立ち去った。
早速地蔵尊を祈願をかけたところ、霊験あらたか明治24年1月9日男子(栄之助)が授けられた。
その御恩報謝として同年9月に現存の地蔵尊石佛並御堂が建立され今日に至った。
        昭和60年1月20日    道引き地蔵講世話人 


道引地蔵尊


市設南浜墓園

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