越中井戸(えつちゆうゐど) 玉造越中町の辻にあり。むかし細川越中候の台所の井といふ。
またかぎや坂の下東側人家の裏に稲荷祠あり。これ第(やしき)の鎮守といふ。



越中井(えっちゅうい) 大阪市中央区森之宮中央2-12
越中井 細川忠興夫人秀林院  殉節之遺址  (徳富蘇峯 筆)
散りぬべき 時知りてこそ 世の中の 花も花なれ 人も人なれ
史蹟 越中井由来
ガラシャ夫人の名だけ聞いてもどんな人なのか知らない人が多いのではないでしょうか。
ガラシャは細川越中守忠興公の夫人で熱心なキリシタン信者でありました。慶長5年(1600年)忠興公が徳川家康に従って会津上杉を征伐ん出陣した留守中。反家康の石田三成が大名妻子たちを大阪城中に人質にしようとしたが、ガラシャ夫人は聞き入れず石田三成に取囲まれ、ぜひもなく家来に首を討たせ家屋敷に火を放ちいさぎよく火中に果てました。
この越中井はその屋敷の台所にあったと古くから伝えられています。昭和9年(1934年)当時地元の越中町内会の人々相寄り、ガラシャ夫人の徳をしのび顕彰碑を建立したものです。
碑の正面表題の文字は徳富蘇峯先生の筆で、側面(左側)の由来説明は京都帝大文学部長新村出先生の文です。
改めてそれを読みながらガラシャ夫人の壮烈な最後を想い起こしてください。
 牧村史陽識
 越中町会
         細川ガラシャ夫人顕彰  頌徳会
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