江口遊女妙(えぐちのゆうじょたへ)歌塚とて『新古今』贈答の和歌を石刻して、江口村南川堤の上に建つる。
北の方、西行法師の歌。南の方、遊女妙の歌。東の方、法華首題七字、賜紫日顕の書判。西の方、当山法華霊場宝林山寂光寺君堂造立の志は如月院妙耀日近信士の菩提と為す。
 『新古今』   天王寺へまゐり侍りけるに、にはかに雨ふりければ、江口にやどなかりけるに、かし侍らざりければ読み侍りける
     世の中をいとふまでこそかたからめかりのやどりををしむ君かな   西行法師
 同   世をいとふ人としきけばかりの宿に心とむなとおもふばかりぞ    遊女妙
 『江家次第』に云ふ、  八十島祭の日、難波の津に到り、宮主檀を作る。(中略)次に中宮の御料、次に斎宮の御料、宮主膝突(西面)に着く。御麻を捧げ、禊を修す。禊了りて祭物を以て海に投ぐ。次に帰京、江口の遊女参入に於て纏頭す。例の禄、恒のごとし。帰京の後、典侍参内して、御衣を返上し、並びに御祭平安に奉仕し畢る由を申すと云々。


 
西行・妙の歌塚 明治39年(1906)の淀川改修で川底になるため、寂光寺境内に移転された。

HOME > 巻之三 東生郡
inserted by FC2 system