蛭子松(えびすのまつ) 木津川町北端にあり。
この辺の名松にして、蒼々たる枝葉(しよう)川の面にうつるけしき、また夏はこの松の下に船を寄せて涼風に花火を灯す風景斜ならず。この松、すべて二百余年を経るとぞ


 松ケ鼻の老松 
木津川と尻無川に挟まれた中洲状の島があり、寺島と呼ばれていました。
江戸時代の末ごろには南北約1,300m、幅2〜300mの細長い土地で、島の端に名松があったので、寺島の北端が松ケ鼻と呼ばれていました。
松ケ鼻とこの周辺は、景色の美しさと川面の涼しさから、江戸時代にはご婦人も子供も家族で楽しめる場所だったが、日本の開国に伴い、川口が外国人居留地となり、寺島の北半が松島と命名され松島新地(遊廓)が設けられました。



松島橋 木津川と尻無川(埋立)が分岐していた当地は かつて樹齢300年といわれる名松があったことより、松島の地名がつけられたものである。
明治に入って 川口地区に外国人居留地か設けられたのを機会に 木津川の渡しを廃止し 松島橋が架けられたのが明治2年であった。  
橋長が69.4mで 幅員が6mの木橋で 高い帆柱を重的た船を通すために 反りの人きい橋であったことが長谷川貞信の「浪華百景」の中で描かれている。  
しかしこの橋は 明治18年の淀川大洪水のとき流出したことより 橋脚を鉄抗にした大桁橋が架けられた。  
現在の橋は 昭和5年に都市計画事薬により架けられたものである。
           平成11年4月  大阪市



長谷川貞信 「浪華百景之内 松島大橋 神戸市立博物館蔵」
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