大願寺(だいがんじ) 仏性院村にあり。古刹にして初め仏性院といふ。また橋本寺ともよぶ。後世日蓮宗となりて瑞光山と号す。
 『夫木』   ながらなる橋本寺もつくるなりおこさぬ家を何にたとへん   信 実
本尊釈迦仏 閻浮檀金(えんぶだごん)、長一寸八歩。近歳日慶上人当寺を再興す。  
橋柱地蔵尊(はしばしらじぞうそん)境内地蔵堂に安置す。長五寸ばかり。
寺記に云ふ、後一条院御字、長柄の橋柱、水氏より揚がりしを帝に貢りければ、仏匠に命じて地蔵尊に造らしめたまふ。
すなはちこの地、橋本寺の旧跡なればとて、ここに浄刹(てら)を建て安置すべき詔によって堂舎建立ある。
その頃、四条大納言公任(きんたう)卿、この尊影を拝して和歌を詠ず。
        長柄江や藻にうづもるる橋ばしらまた道かへて人わたすなり  公 任  
この時この尊橡微笑したまふ。ゆゑに世に笑地蔵とよぶ。 鼠突不動尊(ねづみつきふどうそん)長一尺三寸ばかり。
この尊京師姉小路不動尊と同じ。



大願寺(たいがんじ) 大阪市淀川区東三国1-4-5
本門法華宗 弧雲山 仏生院 長柄の人柱となった巌氏長者の冥福を祈るため、推古天皇が長柄橋の傍に橋本寺という守護寺を建てたのが渕源という。
宝永6年(1709)大阪の豪商天王寺屋弥右衛門が寺を買い受け、尼崎の本興寺住職日慶を招いて開基。禅宗より法華宗に改める。安政6年(1859)僧日量が改築。


本堂 本尊:題目宝塔。 人柱三尊:釈迦如来金像・不動明王像・地蔵菩薩像、巌氏の絵像

 


笑い地蔵
寛仁3年(1019)3月、人柱伝説に感銘を受けた後一条天皇は、長柄橋に用いたと伝える材木を使って、大仏師定師(じょうちゅう)に命じて地蔵菩薩を造らせました。
この地蔵を本尊として大願寺を再興され、開眼供養の勅使に藤原公任(きんとう)をさしむけられました。
公任が尊像を拝して、「長柄江や藻に埋もれし橋柱 また道かえて人渡すなり」と詠むと地蔵が微笑んだといいます。

鐘楼

 
巌氏墓(いわしはか)

境内飛地に巌氏供養碑あり。

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