味経宮旧蹟(あぢふのみやのきゆうせき) 小橋村にあり。
『日本紀』曰く「孝徳天皇白雉元年春正月辛丑朔、車駕を味経宮に幸す。賀正の礼を観はす。この日に車駕、宮に還りたまふ。白雉二年冬十二月晦、味経宮において二千一百余の僧尼を請ひ、一切経を読ましむ。この夕べ二千七余灯を朝庭内に燃して、安宅土側等の経を読ましむ。ここにおいて天皇大郡より新宮に遷居したまふ。号けて難波長柄豊崎官と日ふ」云々。
『夫木集』、味経宮、摂津国とす。大郡とは今の東生郡をいふ。
『摂津志』に、味経常旧跡、島下郡味舌郷とするは謬ならんか。
   『万葉』短歌(上略)         みまくはりして御食むかふあぢふの宮はみれどあかぬかも
   『夫木』      田鶴のなくあしべの浪に袖ぬれて味経の宮に月をみるかな      小僧郡玄覚






味経宮(あじふみや)
HOME > 巻之三 東生郡
inserted by FC2 system