当社は、景行天皇の御代己亥年の秋、夏目入穂の孫逆輪井が鍬津の西浪花潟昼々丘に神地を賜り、稲生の神を奉斉し代々祭祀するようになった。
後に聖徳太子が四天王寺創建と共に、此の地に社殿を建て、崇峻天皇を祭祀し、四天王寺七宮の一宮として、稲生鯛明神と併祀することとなった。 又、この地を古保礼と云う。 延暦7年3月、摂津太夫和気朝臣清麿が、河内摂津両国の界に川を掘り堤を築き、荒陵の南より河内皮を導き西の海に通せんとして、当社に祈願した。 以後、河堀と書いて「コボレ」と称す。 |
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