〇四筒院旧蹟(しかのいん) 敬田院・施薬院・療病院・悲田院等なり。施薬院の旧跡、今詳らかならず。
療病院は今の湯屋方丈その旧址といふもまた詳らかならず。悲田院の旧跡東門の外にあり。今乞人の宿る所なり。
療病・悲田の二院当山の廓外にあり。ゆゑに垣外の号始まる。今この号所々に存す。
『本願縁起』日く、
  施薬院はこれ一切の芝草・薬物の類を殖ゑしめ、方に順ひて薬を合はせ、各楽ふ所に随ひて普く以て施し与ふ。
療病院はこれ一切の男女無緑の病者を寄宿せ令め、日々に養育して、師長・父母のごとくせよ。
悲田院はこれ貧窮・孤独・単己・無頼を寄住せしめ、日々眷顧して、飢渇致さしむること莫かれ。
若し勇壮強力を得ん時は四箇院の雑事に役任せしむべし。その養料物は摂津・河内の両国、国毎に官稲各三什束、これを以て供用するのみ。三箇院は国家の大基、教法の最要なり。敬田院は一切衆生帰依渇仰、断悪修喜、速証无上大菩提の処なり云々。
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