○西門 西表に阿弥陀・善導大師等の画像、東の方に釈尊ならびに十大弟子の画影を安ず。詣人香を薫じ水印を転す。
『太子伝撰集抄』云ふ、今年二月八日より、四天王寺西門にて御父帝用明天皇の御為に、七日七夜の念仏をはじめ、十四日結願の日、功徳証明の為に、阿部臣を使として信濃の善光寺如来へ四句文ならびに和歌を捧げたまふ。その詞に云ふ。
 名号称揚七日己   名号を称揚すること七日に已んぬ
 斯此為報広大恩   斯はこれ広大の恩を報いんが為なり
 仰願本師弥陀尊   仰ぎ願はくは本師弥陀尊
 助我済度常護念   我が済度を助けて常に護念したまへ      太 子
 日数へておこなふ法をしるべしてさきだつ人を西にみちぴけ      同
 つかへてしそのい忙しへを忘れずはわがなすわざにさはりあらすな  同
如来もまた四句の文。二首の和歌もつて功徳を讃嘆したまふ。
 一念称揚無息事   一念称揚息む事無し
 何況七日大功徳   何に況んや七日大功徳をや
 吾待衆生心無間   吾衆生を待ちて心間無し
 汝燵済度豈不護   汝能く済度せんこと豈に護らざらんや       善光寺如来
一たびも御名をとなふる声きけば長き夢路もさめてこそゆけ        同
『空海行状』云ふ、弘法大師天王寺西門にして日想観を修したまふ時、にはかに蒼海雲につらなり、赤日浪に映じて、迷悟一如の観、たちまちほがらかに自覚、本初の源すみやかに開けて、五智の宝冠頭上にあらはれ、三密の頓証眼前に掲焉たりしとかや。
 『金葉』
   屏風の絵に、天王寺の西門にて法師の舟に乗りてにしざまにこぎはなれ行くかた書きたる所をよめる
 あみだ仏ととなふる声をかぢにてやくるしき海をこぎはなもらん

 源俊頼
 『新勅撰』
   天王寺の西門にてよみ侍りける
 さはりたく入日を見てもおもふかなこれこそ西の門出なりけれ
 
 郁芳門院安芸
 『続後撰』
   天王寺にまうでてよみ侍る
 西を思ふ心ありてぞ津の国の難波あたりは見るペかりける
 
 後京極
  同
   かの寺に戒師はじめておくとてよみ侍りける
 今さらにたもとは玉となりならむ難波の寺の人わすれ貝 
 
 同
 『山家』
   同行に侍りける上人月の頃天王寺にこもりたりと聞きていひつかはしける
 いとどいかに西にかたぷく月影をつねよりもげに君したふらん

 西行法師
 『拾遺愚草』
   文治の頃殷富門院大輔、天王寺に十首の歌よみ侍りしに、月前念仏 
 西をおもふ泪にそへて引く玉のひかりあらはす秋の夜のつき

 定 家
 同
   於難波精舎即事
 吹きはらへ心の塵もなにはがたきよきなぎさの法の浦風

 同
 家 集
   九月二十日あまりの程天王寺へ参り侍りしに、伊賀入道為業がもとよりこもりて侍りけるが
 君こずば誰に見せまし津の国の難波あたりの秋のけしきを

 頼 政
 『夫木』
   日想観のこころを
 海にいる難波の浦の夕日こそ西にさしけるひかりなりけれ 

 為 家
 『歌枕』 世をてらすちかひの海の入日こそ難波のみ津の寺と成りけれ 同
 『大木』 世をすくふちかひの海の入日こそ難故の水をてらすなりけれ 慈 鎮
 『拾玉』 
   方便品諸法実相
 難波潟ふかき江よりぞ流れ出づるまことをしるは水ぐきの跡
 
 同
 同 津の国のあしげの駒にのりの跡は我が思ひいる道にぞありける 同
 同 津の回のあしの八重ぶき隙もなくとなへて過ぎよ南無あみだ仏  同
 同 法の水をけふかきそむる難波江に月かげさむし秋のあかつき 同
 

西大門  戦後再建されてからは極楽門と呼ばれるようになる。


転法輪(てんぽうりん)  
「転法輪」という手で回すコマ様のものが4基あり、お釈迦様の教えが他に転じて伝わることを輪にたとえた仏教の象徴で、合掌して、「自浄其意」(じじょうごい)と唱えて右に回す。

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