○守屋祠(もりやのやしろ) 太子堂の後にあり。
今参詣の者守屋の名を悪むにや、礫を投げて祠を破壊す。寺僧これを傷んで熊野権現と表をうつ。祭る所、守屋大連・弓削小連・中臣勝梅連の三座なり。
 『本願縁起』云ふ「守屋臣はこれ生々世々相伝の破賊なり。<中略>田地を掠め椒り寺塔を破滅しける事、これただ守屋変親するのみなり。われと守屋とは影と響とのごとし。寺塔を滅亡せば国家も壊失せん」と云々。
 伝に日く、釈尊出世のむかし菩提達多が生々世々の仏敵なりしも、つひには天王如来の記莂(きべつ)を蒙りぬ。守屋臣もかりには法敵となるといへども、かへつて太子の興隆を成ぜんが為の方便なり。
唯円教意逆即是順の理なるペし。


守屋祠  祭神:守屋大連、弓削小連、中臣勝海連
そもそも四天王寺は聖徳太子が白膠木(ぬるでのき)をもって四天王の像を作り、「我、仏敵を滅ぼすことができれば、四天王のため寺を建てて祀らん」と誓願し、物部守屋が滅んで間もなく建てられた。
『日本書紀』には、物部氏の奴の半と宅とを分けてこの寺の奴と田荘としたとある。 その滅ぼした守屋の祠が太子堂の脇に祀られている。


守屋祠の標札には平成14年7月3日 105世 尊教書とある。
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