上町台地には、難波宮跡をはじめ古代からの様々な遺跡が残っている。 古墳については、現在も墳丘が確認できるものは帝塚山古墳などわずかに過ぎないが、かつては多数の古墳が点在していたと考えられている。 熊野街道の周辺には、北畠顕家の墓とも伝えられる「大名塚」や「小町塚」「播磨塚」など、古墳の存在をうかがわせる「塚」がいくつか残っている。 聖徳太子が一字一石経を埋めたとか、空海が写経を埋めたとも伝えられる「経塚」もそのひとつで、江戸助代の地誌『摂津名所図会』には「大名塚」の北のやや離れたところに墳丘と石柱が描かれている。 いつのころからか石柱のみ「大名塚」のすぐ北側の宅地に移り、墳丘は消滅してしまった。 石柱の背面には「了證」とあり、願主と思われる。 平成7年(1995)にこの石柱を熊野街道に面した清明丘公園に再度移転した。 平成7年3月 大阪市教育委員会 |
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