○金堂 南大門の内にあり。桁行京間八間六尺二寸、染行七間五尺七寸、南向なり。
意輪観音 金銅尊容 弥勒仏・四天王・十二天画像・波羅門像 六形 宝塔一基 仏舎利一粒を安置す。
 太子御真蹟『本願縁起』日く「金堂に救世観音像を安置す。百清国の王、わが入滅の後恋慕渇仰して造る所の像なり」と云々。かくいふ事は、太子の前身は百清国の聖明王にて如意輪の化身なり。その子威徳王、父の王崩じたまふを深く歎かせたまひ、この尊像を作り御在位のごとく孝養せさせたまふ。我が朝に聖徳王出誕とあるを伝へききて、百済国よりわたさるるなり。
また四天王の像西にむかひたまふは、これも『本願縁起』に日く「百済・高麗・任那・新羅はみな貪狼の情つねにもつて強盛なり。かれらの国を降伏せしめんが為なり。ことには代々の王位を固く守護して、逆臣なく忠貞を勧めしめん為なり」云々。
 同      天王寺にまゐりて舎利を拝み奉りて
       薪つき煙もすみてきりにけんこれや名残と見るぞ悲しき       胆西上人
 同      天王寺に参りて迫身舎利を礼して
       常ならぬためしは夜半の鯛にて消えぬ名残を見るぞ嬉しき     座主明雲
 『夫木』  南無帰命敬礼救世の観世音かかる契りはあらじとぞ思ふ      慈 鎮
 同     難波潟法の花園ひらけ初めてうつろふにこそ雷は置きけれ     同
『沙石集』日く「高野山南證坊の検校寛海といひける人、前生の事をしらまほしく大師に祈られしに、七生の事をしめしたまふ。初めは天王寺の西の海にちひさき蛤にてありしが、波に打ち寄せられて磯辺にありしを、幼稚もののひろひとりてこの金堂の前に捨て置きしゆゑ、舎利講の場に至りぬる功徳にひかれ、七生の間善縁を結び、今この山の阿闇梨となりけるよしをしめしたまふなり」。
『雪玉』云ふ「金堂にのぼりて御舎利を頂戴し、同じく日本にはじめてわたる大般若経、夢殿より将来の法華経など拝見し奉る。
『御手印の縁起』住僧のよめるを静かに聴聞して随喜のなみだおきへがたし。法華経を拝してこころの内に思ひつづけ侍りし」。
 『雪玉』  むば玉の夢殿よりやみぬ世をもここに伝へし法の言の葉      実 隆



金堂 本尊:救世観音   
平櫛田中の指導による救世観音と四天王が安置。内壁には中村岳陵画伯筆の仏伝図が描かれている。
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