播磨墳(はりまづか) 経塚の側にあり。
接ずるに、むかしこの地みな墓所にて、荒墳となり、田園を開きしなり。
これらみな以前の残墓なるべし。ゆゑに姓名さだかならず。







播磨塚(はりまづか) 大阪市阿倍野区王子町4-3-29

播磨塚は南北朝の頃、住吉の合戦で南朝の忠臣楠正行に山名細川両将軍が率いる北朝軍が敗れた。
敗軍の中には播磨の太守赤松円心の子・貞範の率いる播磨の武士も多く戦死した。
貞範は将兵の遺骨を納め塚を築き、播磨塚と名付けて部下の冥福を祈った。
  阿倍野区史跡顕彰委員会






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