〇五層宝塔(ごそうほうとう) 金堂の南にあり。もとこの宝塔は和州額田部村額安寺にあり。
一説、同国黒田勝楽寺とも云ふ。慶長中再営の時、台命によって引き移す所なり。層毎に雲水の彫物あり。ゆゑに世に雲水塔といふ。釈迦画像・四天王木像・八祖画像 安置す。
 『本願縁起』日く「宝塔・金堂は極楽土の東門中心に相当たるにより、髪髻六毛をもって仏舎利六粒に相加へ、心柱の中に籠め納むる事は、六道を利するの相を表するなり。また宝塔第一の露盤には、誓つて手づから金を鏤む。遺法興減の相を表す」と云々。かくいふは太子当寺を御建立の時、御髪の毛六筋に仏舎利六粒を加へて塔中の真柱にこめさせたまふ。これは地獄・餓飢・畜生・修羅・人間・天上の六道の衆生を利益したまはんとの御誓なり。また九輪の下露盤に御手づから黄金を鎮めたまふは、その金の色の変化をもって、仏道の興廃をしらしめん為なりとぞ。
今の宝塔引き遷しの時にも、河内国下の太子の殖髪を六筋わかちて、仏舎利に相副へ納めらるるなり。
また『日本紀』孝徳帝大化四年二月に、仏像四躯を四天王寺塔内に納むと見えたり。
 『拾玉』
  塔のうへに残るひかりははし鷹の雲よりかよふ跡ぞうれしき   慈 鎮
 寺説に云ふ、金堂の破風に鷹のとまり木あり。近き世までいづちともなき離れ鷹来りてとまりけるを、当寺の老僧のまのあたりに見侍りしと語られき。慈鎮和尚の歌もこのこころを読みたまへるにや。 


五重塔  
聖徳太子創建の時、六道利救の悲願を込めて、塔の礎石心柱の中に仏舎利六粒と自らの髻髪(きっぱつ)六毛を納めたので、この塔を「六道利救の塔」という。.
3間3間、初重方7.5m、総高38.4m。  藤島亥次郎設計。山下摩起画伯の四仏浄土の壁画がある。
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