合法辻(がつぽうがつじ) 相坂清水の西の辻なり。焔魔堂あり。実は学校辻なり。むかしここに天王寺の学校院ありし古蹟といふ。






合邦辻(がっぽうがつじ) 
四天王寺西門前から西に下る逢坂と、逢坂から南天下茶屋に向かう街道の交差する三叉路。
聖徳太子と物部守屋が仏法を論じ合い「合法」の名が起こったとか、合邦なる層が住んでいたとかいう。
また、学校が辻といったのが訛ったためとも。



合邦辻閻魔堂(がっぽうがつじ えんまどう) 大阪市浪速区下寺3-16-11
聖徳太子の開基と伝えられ、立派な大伽藍があったが、兵火にあい辻堂となって、 江戸時代には、「町内持ち」となって、町内によってまつられていた。
明治10年(1877)の明治天皇住吉行幸の際、道路拡張のため、西方寺に移された。
西方寺は融通念仏宗 暁築山で、本尊:阿弥仏。
天平2年(730)行基が河内国池島に創設した六万寺が渕源で、弘安5年(1582)水瀬吉松が西方寺と名を変え再建。
貞和3年(1347)大坂玉造に移転、寛永2年(1625)難波へ映り焼失、明治4年(1871)現在地で再興された。
昭和20年3月13日の空襲で、石造閻魔は西方寺ともども焼失したが、昭和27年、大念仏寺(東住吉区)から木像閻魔を譲り受け、再興される。

浄瑠璃「摂州合法辻」の舞台にもなっている。
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