土塔古跡(どとうこせき) 天王寺南門土塔町超願寺これなり。
皇太子の御時、震旦(しんたん)国より渡りし経論、烏有を恐れて土塔を築きて蔵めたまふ。後世寺となして南岡山土塔寺と号し、本尊は太子御作の弥陀仏、長三尺三寸の尊像を安ず。
また当山の由来は黄門定家卿の真筆なり。二十八世真観法印、本願寺覚如上人に帰入し浄土真宗となる。
その後蓮如上人石山御堂御建立の前、しほらくここに止住したまふ。かるかゆゑに世の人士塔御坊と称す。
竹本義太夫墓 この寺にあり。








超願寺(ちょうがんじ)   大阪市天王寺区大道1-14-1
浄土真宗西本願寺派 土塔山
推古天皇22年(614)、聖徳太子が父用明天皇の追福のため阿弥陀仏を自刻し、小堂を構えたのが起り。
翌年、蘇我馬子の子・慧観が住職となり、寺名を超願寺と改め、大師から頂いた経典や木像を宝塔を築いて収めた。
舒明天皇の頃、類焼を怖れ宝塔の回りを分厚く泥壁で塗り固めたため、土塔と呼ばれ、山号となった。
初め、天台宗であったが、北朝の頃、28世僧真観が本願寺の覚如上人に帰依し、真宗となる。
石山本願寺創建の頃には蓮如が滞在し、自刻像や愛用の数珠を納め、土塔御坊と呼ばれた。



本堂 本尊:阿弥陀仏



鐘楼


元祖竹本義太夫墓
釈道喜  正徳四甲午年九月十日

義太夫は義太夫節浄瑠璃の元祖といわれ、その繁盛は彼に始まった。
この地天王寺村の生まれで、正徳4年64歳で死去した。


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